
Clear Inc.とSAKE HUNDREDの設計思想
「SAKE HUNDREDを造っているのは、どの酒蔵なのか。」
この問いに、一つの蔵名だけで答えることはできない。ブランドを運営するClear Inc.は、自社の酒蔵を持たない会社だ。製品ごとの構想に最も適した酒蔵を選び、日本各地の醸造パートナーと共同で一つひとつを開発している。
日本酒の世界では、ブランド名と酒蔵名がほぼ同義で語られることが多い。土地の水、米、気候、そして蔵の歴史が酒の個性を形づくる以上、それは自然な結びつきである。SAKE HUNDREDはこの伝統を否定するのではなく、別の方法を選んだ。複数の蔵が持つ異なる専門性を、一つのブランド哲学のもとに結び直す方法である。公式のブランドストーリーが示すように、各製品は丁寧に設計された構想から始まり、それを実現できる日本各地の酒蔵とともに開発される。
酒蔵の外から始まった会社
Clear Inc.は2013年に設立された。創業者兼CEOの生駒龍史は、造り手としてではなく、日本酒の物語と文化を伝える側から業界に入った。2014年には、全国の酒蔵と造り手を取材する日本酒専門メディア「SAKETIMES」を立ち上げた。事業は2026年2月に譲渡されたが、長年の取材で蓄えた知識は、その後のブランド開発の土台になった。
卓越した技術と何世代にもわたる伝統を持つ蔵であっても、その強みが蔵の外へ十分に届くとは限らない。味わいの構造や精米歩合といった技術情報だけでは、なぜその酒が生まれたのか、造り手が何に挑み、何を変えようとしたのかまでは伝わりにくい。
Clearの歩みと製品群を見ると、取材を通じて得た洞察を、製品コンセプトの設計とブランド表現の力へ変えてきたことがわかる。醸造技術そのものを所有するのではなく、蔵の技術的成果と文化的蓄積を整理し、現代の人々に届く形で伝えることがClearの役割である。
組織にもその思想が表れている。エルメス・インターナショナル元副社長の斎藤峰明が社外取締役を務め、月桂冠およびGekkeikan USAで醸造に携わった川瀬洋祐が商品開発を率いる。ブランドと醸造、それぞれの専門性を社内で意図的に交差させている。
「100年先にも誇れる一本」から「満たされた人生」へ
2018年7月、同社は「100年先にも誇れる一本をつくる」という構想のもと、SAKE100を始動した。最初の中核商品は、山形県の楯の川酒造と共同開発した「百光」だった。精米歩合18%を中心に据えた大胆な酒質設計は、日本酒のプレミアム価値を何で測るのかという従来の見方に問いを投げかけた。
2020年8月、ブランド名はSAKE HUNDREDへ変わった。創業者の手紙によれば、「HUNDRED」は100種類の銘柄を意味しない。100を「満ちた状態」と捉え、日本酒を通じて人生に豊かさと充足をもたらすというブランドの目的を表している。
これは単なる名称変更ではなかった。品質を最終目標とする考え方から、品質をより大きな目的の前提条件とする考え方への転換である。日本酒が文化、感情、人の経験に何をもたらし得るのか。SAKE HUNDREDは技術仕様だけで価値を語るのではなく、一本の背後にある人、場所、時間を通してそれを表そうとする。ここにClear Inc.の輪郭が現れる。
一つの思想と、複数の醸造パートナー
SAKE HUNDREDの製品群を見渡すと、Clearと醸造パートナーの関係が見えてくる。「百光」と「百光 別誂」は、楯の川酒造が培ってきた高度な精米技術を土台とする。「天彩」は奈良県の美吉野醸造と開発し、次の仕込みで水の代わりに清酒を用いる「累醸仕込み」と、蔵に棲む自然由来の酵母を組み合わせた。
「白奏」は熊本県の河津酒造が醸造し、精米歩合18%の山田錦を用いたうえで、瓶内二次発酵と、澱を取り除くデゴルジュマンを行う。山梨県の山梨銘醸と開発した「深星」は、伝統的な再仕込みと瓶内発酵、デゴルジュマンを組み合わせている。
「思凛」は山形県の奥羽自慢とともに、国産ミズナラ樽での熟成を探る。「礼比」は群馬県の永井酒造と組み、同蔵が長く研究してきた氷点下熟成の知見を形にする。
「現外」は、兵庫県の沢の鶴が保管してきた長期熟成酒を核に据える。原酒の来歴は1995年の阪神・淡路大震災にまで遡り、災害を越えて残った時間そのものが製品構想の中心になっている。SAKE HUNDREDは公式サイトで、これらの蔵を「醸造パートナー」と表現する。Clearが全体の構想をつくり、各蔵が技術を持ち寄って実現する。設備、手仕事、研究、地域の歴史は制約ではなく、各プロジェクトの出発点なのである。
蔵を持たない自由と責任
酒蔵を持たないことがもたらすのは、柔軟性だけではない。酒蔵ごとに仕込みの暦、設備、原料、醸造哲学が異なる。複数の製造拠点と協働する以上、ブランド側の構想だけで製品を成立させることはできない。
一方で、一つの蔵の得意分野だけに縛られることもない。瓶内発酵、樽熟成、氷点下熟成、長期熟成、累醸仕込みには、それぞれ別の専門性が必要である。構想ごとに適した蔵を選ぶことで、土地に根ざした技術の個性を守りながら、一つのブランドとして筋の通ったコレクションをつくることができる。
このモデルの成否を分けるのは、発想の奇抜さよりも、相手の専門性を本当に理解できるかどうかだ。ブランドの物語が先に立てば、蔵の歴史は飾りになる。逆に技術説明だけでは、その知恵が今なぜ重要なのかが伝わらない。蔵の手仕事と現代の受け手の間をつなぐことが、Clearの担う仕事である。
発酵の上流へ踏み込む
協働は、完成した酒の見せ方だけにとどまらない。SAKE HUNDREDは老舗の種麹メーカーと共同で、独自の種麹菌株SH-NB-01とSH-HG-01を開発した。これらは2024醸造年度から「百光」の製造に使われている。
種麹は、蒸した米に麹菌を繁殖させる起点であり、日本酒発酵の土台をつくる重要な要素である。この取り組みは、ブランドが包装や物語だけでなく、発酵そのものの技術設計にも関与していることを示している。
異なる視点から日本酒の価値をひらく
SAKE HUNDREDの特徴は、日本酒の伝統から離れることではない。全国の酒蔵に蓄積された技術と知恵を見つけ直し、新しい視点から捉え、現代の人々に届く言葉で表現することにある。
土地と伝統に根を張る酒蔵と、複数の蔵を横断して構想を組み立てるブランドは、対立する存在ではない。一方は技を磨き、文化を深くする。もう一方は異なる専門性を結び、まだ形になっていない問いを立てる。両者が組むことで、日本酒をどう表現できるかという可能性は広がる。
SAKE HUNDREDの一本を見れば、「どの蔵が造ったのか」と尋ねたくなる。しかし、同じくらい多くを教えてくれる問いがある。「なぜ、この構想にはこの蔵が選ばれたのか」。その問いの中に、Clear Inc.の仕事の本質がある。
本記事は、日本酒の製造とブランド史に関する教育・文化的な参考情報を提供するものです。酒類の広告、販売促進、購入促進、飲酒推奨を目的とするものではありません。20歳未満の方を対象としていません。
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