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シャンパーニュ!4 マダム・クリコの歴史
27歳で家業を継いだ女性と、いまも使われる技術
マダム・クリコの名は、シャンパーニュの歴史の中でよく知られている。本名はバルブ=ニコル・ポンサルダン。のちにマダム・クリコと呼ばれ、さらに「ラ・ヴーヴ・クリコ(クリコ未亡人)」の名で知られるようになった女性である。名前は聞いたことがあっても、その人物がどのような仕事をしたのかまで知る人は多くない。
27歳で継いだ家業
ヴーヴ・クリコ・ポンサルダンの始まりは、1772年にランスで設立されたメゾン(シャンパーニュの生産者)である。1805年に夫のフランソワ・クリコを亡くしたあと、バルブ=ニコルは27歳で事業の経営を引き継いだ。
造りに加えた三つの工夫
彼女が経営した時代に、メゾンは造りの面でいくつかの工夫を重ねた。1810年には、収穫年を表示したヴィンテージ・シャンパーニュを造っている。知られている限りでは、シャンパーニュで最も早い時期のヴィンテージの一つとされる。
1816年ごろには、動瓶台(ルミアージュ台)を考案したとされる。瓶の中で二度目の発酵を終えたあとに残る澱(酵母のかす)を瓶の口に集め、取り除きやすくするための台である。この作業によって、ワインを澄んだ状態に仕上げられるようになった。澱を瓶の口に集めるこの工程は、いまもシャンパーニュの伝統的な製法の一部として行われている。
1818年には、白のシャンパーニュに赤ワインを加えてロゼを造る方法を取り入れた。加えたのは、ブジー村の赤ワインだったと伝えられる。赤ワインを混ぜて色をつけるこの方法は「ロゼ・ダッサンブラージュ」と呼ばれ、現在も多くの生産者が用いている。
晩年と、その名を冠した賞
バルブ=ニコル・クリコ・ポンサルダンは、経営と造りの両面から、シャンパーニュの産業の発展に関わった。1866年7月29日、ブルソーで88歳で亡くなっている。
1972年、メゾンの創業200年を記念して、女性の起業家をたたえる賞が設けられた。当初の名は「ヴーヴ・クリコ・ビジネスウーマン・アワード」で、現在は「ボールド・ウーマン・アワード」と呼ばれ、これまでに27か国で贈られてきた。

This article is intended solely to introduce the history and culture of Champagne, and does not aim to promote or encourage the consumption of alcohol. / บทความนี้จัดทำขึ้นเพื่อนำเสนอประวัติศาสตร์และวัฒนธรรมของแชมเปญเท่านั้น มิได้มีเจตนาเพื่อส่งเสริมหรือโฆษณาเครื่องดื่มแอลกอฮอล์ สำหรับผู้มีอายุ 20 ปีขึ้นไป โปรดดื่มอย่างรับผิดชอบ
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