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L’Entêté:ふたたび名乗るまでの、二つの法的変更

二十世紀のほとんどの期間、フランスの蒸溜家はアブサンを造ることはできても、それをアブサンと呼ぶことはできなかった。中身は許されていた。名前が許されていなかった。

This illustration supplements the product information and is not a photograph of the actual product. Details such as the bottle’s shape, colour and label may differ from the actual product. This page is provided for informational purposes only and is not intended to encourage the purchase or consumption of alcoholic beverages.

その名前を取り戻すには、フランスの法を二度、別々に変える必要があった。それを進めた蒸溜家は、できあがった一本にその労苦の名を付けた。

Charcoal illustration of wild wormwood on a Jura limestone slope beside cultivated rows of the same species near Saumur

禁止される前の言葉

商業カテゴリーとしてのアブサンは、特定の住所から始まる。1798年、ダニエル・アンリ・デュビエが、息子と、娘婿のアンリ・ルイ・ペルノとともに、スイスのクーヴェに蒸溜所を設けた。1805年、ペルノはそこを離れ、国境を越えたフランスのポンタルリエに自身の蒸溜所を開く。

植物のほうが商売より古い。学名をアルテミシア・アブシンティウムというグランド・ワームウッド(ニガヨモギ)は、商業的に蒸溜されるはるか以前から薬用に使われており、今もベルモット系のワインで苦味をつける材料として残っている。

アブサンをフランスで大量消費品に変えたのは、半ばは状況だった。1860年代以降、フィロキセラがフランスのブドウ畑の大部分を壊滅させる。ワインは希少になり、高くなった。アブサンはブドウではなく穀物由来のアルコールから造られ、価格が低く、度数は格段に高い。ワインが空けた場所へ、それが入り込んだ。軍隊での消費や強引な販売も働いており、ブドウ畑の崩壊は複数ある原因の一つとして読むのが妥当で、それだけで全体を説明するものではない。

1860年代には、このカテゴリーは一日のある時刻を指す呼び名を得ていた。パリでは夕方の早い時刻を「緑の時間」(l’heure verte)と呼び、おおむね五時前後からを指した。この語はアルフレッド・デルヴォーが1862年に著したパリのカフェ論に記録されている。

反転もまた記録に残っている。スイスは1908年の国民投票で禁止を決め、1910年に施行した。アメリカは1912年に規制した。フランスは1915年3月16日の法律で禁じた。消えたのは製品だけではない。言葉が消えた。

「緑の妖精」が担っているもの

「緑の妖精」(la fée verte)という異名は、禁止よりも長く生き延びた。

これはしばしばオスカー・ワイルドの命名とされる。その帰属は確認に耐えない。この言い回しは十九世紀フランスの俗称であり、指しているのは何よりまず色である。伝統的な製法では、この色はハーブから葉緑素を引き出す二度目の浸漬に由来する。ワイルドがアブサンを飲んでいたことは記録にあり、いくつかの言葉も彼と結びつけられている。だが最も有名なそれは、彼の死後に、会話を回想した他人の手記として公にされたものだった。彼はこの名を作っていない。

この訂正が重要なのは、本シリーズの他の訂正と同じ理由による。名前のある作者は、作者のいない俗称よりも繰り返しやすい。繰り返しやすいことは、正確であることとは違う。

二つの法的変更、一つではなく

2000年ごろにディスティルリー・コンビエを引き継いだフランク・シュワーヌは、2004年からアブサンの法的地位に取り組み始めた。2006年には、ポンタルリエで開かれるアブサンティアードで「金の匙」(Cuillère d’Or)を受けている。

法の作業は二段階で進んだ。この二つは、しばしば一つに圧縮されて語られる。

第一は、組成に関するものだった。1988年のフランスのデクレが、このカテゴリーでのフェンネルの使用を制限しており、十九世紀の処方を正確に再現することを難しくしていた。シュワーヌは、このデクレを変えることを最初の闘いだったと述べている。歴史的なアブサンをフランスで正しく造れるようにするためである。

第二は、名前に関するものだった。別の規定が、フランスのラベルに「アブサン」の語を用いることを禁じていた。この制限は2011年に解かれ、5月19日に発効した。

生産者の現行資料と、シュワーヌ自身の説明は、力点の置き方が異なる。蔵の側は2011年を、言葉が戻った年として提示する。シュワーヌはフェンネルのデクレのほうを、先に来た闘いであり、製造にとってはより重い一件だったと語る。どちらも記録に裏づけがある。これは一つの出来事についての対立する二つの版ではなく、二つの出来事についての記述である。シュワーヌの取り組みにおいては順序が意味を持っていた。先の変更は何を造れるかに関わり、後の変更は何を表示できるかに関わっていた。

住所を持って来た植物

コンビエのアブサンは、カタログから来たのではないニガヨモギを軸に組み立てられている。

シュワーヌは、この種が自生するジュラに由来する野生のグランド・ワームウッドを得て、ソミュールで殖やしたと述べている。押さえておく価値があるのは、その殖やし方である。彼は、クローン選抜ではなくマス選抜によって株を増やしたと語っている。

この違いは装飾ではない。クローン増殖は単一の遺伝子型を複製し、均一な畑を作る。マス選抜は集団の内側に遺伝的な幅を保ち、したがって植物が持つ香気成分にも幅が残る。後者を選ぶということは、原料の予測しやすさを手放す代わりに、香気成分の幅を得るということである。

シュワーヌが挙げる理由は、このジュラの集団が、この種に共通する苦味と並んでミントを思わせる性質を持っており、それを他所では見ていない、というものだ。それが厳密な意味で唯一かどうかは、蔵の外から確かめられない。確かめられるのは決定のほうである。ジュラ由来の集団を、差異を取り除く方向ではなく、差異を残す方向で殖やした。

残るボタニカルは栽培ではなく調達によっており、スペインのグリーンアニス、イタリアのプチ・ワームウッド、ヒソップ、レモンバーム、ペパーミントなどが含まれる。

障害の名を一本に付ける

2012年、ラベルの制限が解かれた翌年に、コンビエは緑色のアブサンを出した。その色はハーブから引き出された葉緑素に由来する。名は「L’Entêté」、頑固者、とされた。

この名が記録しているのは味ではなく過程である。指しているのは、2004年に法の作業を始めてから、自らが何であるかをようやく表示できる一本に至るまでの、八年という時間だ。

いまの規則が測っているもの

アブサンが戻れたのは、問いが変わったからである。「植物が危険かどうか」という問いではなくなり、ある一つの成分がどれだけ含まれるか、という問いになった。

アルテミシア・アブシンティウムの構成成分であるツヨンは、欧州法で上限が定められている。規則(EC) No 1334/2008が、アルテミシア属を用いた飲料に上限値を置いている。このカテゴリーで一般に引かれる数値は35 mg/kgだが、公表資料によって mg/kg と mg/L に分かれている。商用資料で数値を使う前には、附属書そのものを確認すべきである。

実務上の帰結は、適合性が文書化された上限値に照らして確認される枠組みになった、ということである。取引の場では、これは歴史をめぐる議論を仕様に置き換える。述べられる内容として、そちらのほうが有用である。

これが何を立証していないかについては、正確でありたい。上限値が定めているのは、生産者が超えてはならない水準である。それは、ある酒を健康を理由に勧めてよいものに変えはしない。現代の規制上の立場は、十九世紀に双方向で唱えられた主張の、いずれをも支持していない。

アブサンが戻ったのは、世論が和らいだからではない。組成の規則が書き換えられ、表示の規則が撤廃され、検査で確かめられる上限が定められたからである。

その一本に付いた名は、それに何が必要だったかを記録している。


出典注記: 年代、法改正の順序、製造上の詳細は、Distillerie Combierの現行資料、フランク・シュワーヌの公表発言、およびカテゴリーの歴史に関する独立した参考資料で確認した。生産者側の提示とシュワーヌ自身の説明で、法改正のどの段階に力点を置くかが異なる箇所は、どちらかへ統合せず両方を記している。生産者の外で流通する資料がこの一本に帰していた受賞歴は、Combier自身の資料にも、当該コンクールの公表結果にも見当たらなかったため、記載していない。ツヨンの数値に単位の注記を添えたのも同じ理由による。「緑の妖精」という異名は特定の作者に帰されることが多いが、その帰属は記録に裏づけがなく、本稿では俗称として扱っている。

この記事は、Distillerie Combierのアブサンの歴史、製造上の選択、規制上の背景を教育目的で紹介するものです。酒類の広告、購入または飲酒の促進を目的としていません。20歳以上の読者を対象としています。

บทความนี้นำเสนอประวัติ แนวคิดด้านการผลิต และบริบททางกฎหมายของแอบซินธ์จาก Distillerie Combier เพื่อการศึกษาเท่านั้น มิได้มีวัตถุประสงค์เพื่อโฆษณา หรือส่งเสริมการซื้อหรือการบริโภคเครื่องดื่มแอลกอฮอล์ บทความนี้จัดทำขึ้นสำหรับผู้อ่านอายุ 20 ปีขึ้นไป

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